犬と歩けば 

犬と住む犬好きの日々思うことです

いつまでも『売り手市場にいたい』女達

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私が高校生だった90年代、

『世界は女子高校生が動かしている』と言われていた。

ルーズソックスにギャル語、3か月前の流行はもうダサいとされていて、女子高校生向けの雑誌がバンバン発売されていたし、休み時間は雑誌の回し読みが盛んに行われていた。

ありとあらゆるものが『女子高校生』をターゲットにしていたし、女子高生に受け入れられたら、それはあっという間にブームになった。

今思えば、女子高校生の『底抜けの明るさと無知さ、そして元気の良さ』を世の中は望んでたと思うし、女子高校生も無意識のうちにそれを受け入れて演じていたと思う。

事実、クマが校庭に入ってくる様な辺境の地に住む私でも、『女子高校生』だということだけで『私も世界を動かしている一人なんだ』と、変な勘違いを起こしたものだ。

経済は『女性』が動かしているとよく揶揄されるが、日本もそれは例外でもなく、『女子高校生』の前は『女子大学生』がもてはやされてたし、その前は『職業婦人』『モガ』という女性だった。

90年代はバブルが弾けて、経済が不透明になり、大人たちは不安で仕方なかった。そこに、女子高校生の『底抜けの明るさと無知さ、そして元気の良さ』がマッチしたのだと思う。女子高校生もなんとなくそれを感じてそう振舞ったんだろうなと、当時を分析してみる。

 

制服を脱ぐとき、少し寂しさを感じたものだ。

『世界の中心から外れた気持ち』何もかもが『女子高校生』という免罪符で許されてた日々は、制服を脱いだ瞬間、文字通り終わった。

 

でも、一度その『世界の中心にいるかの様な』感覚を味わった女たちは、制服を脱いでも様々なものを作り出す。

『森ガール』『カメラ女子』etc

そしてそういうカテゴリに分けられた世界で、その中心として呼ばれることを喜んだ。

二十代前半まではそれでも、よかったかもしれないが、

二十代後半になるとそうも言ってられなくなった。

ざっくりいうと、自分の生活の大部分が仕事に取られて、たまの休みは洗濯物やあとは睡眠に時間を取られるし。

それでも、近状報告というマウンテン女子だらけの報告会『女子会』にも時々は参加した。

精一杯見栄をはって仕事が充実してる、彼氏がいるといっても、

『結婚しました♡』

『子供できた、結婚します♡』

と、とりあえずメール報告してくる友人たちのメールの破壊力に勝るものはなく。

『うそ!マジで!おめでとう‼』

と祝う自分と心の中で、崖から突き落とされたようなヒヤッとした気分を味わった。

婚活アプリを見ても、希望する対象年齢は20代前半とする男性が多く、内心、(20代前半女子がこんなとこ来るわけないって)と冷ややかな目でみつつも、自分の年齢が既に見向きもされない年齢だと思い知った。

 

そんな私が思いがけず結婚をしたのは、

これ以上進展のない『同棲』を解消し、愛犬と一人と一頭で生きていこうと決めた直後だった。

本当に突然のことだったので、結婚式も母と弟しか呼ばなかかったし、結婚したと親戚に伝えたのも二年後の弟の結婚式の時だった。

 

話がそれてしまったが、30を過ぎたら、いや20代も後半になったら、『女子』という言葉を使うべきではないと思う。

『女子会』『〇〇女子』と言われても、

話す内容はそれ相応の歳の話題なのだから。

 

どうもこの『女子』という言葉には『まだまだ私は若いし、売り手側なのよ』という媚びが文字の端々から滲み出ているような気がしてならない。

実は、私が読んでる赤文字雑誌の一つには『いつまでもガールな大人たちへ!』と煽り文が添えられている。

 

どうも

『女の子』『女子』『ガール』これらの言葉には人を惑わせ酔わせる何かがある。

しかし、いつまでも『女子』という甘いフワフワとした綿菓子のような世界に居続けることはできない。

どんなに居続けようと思ったって、次々と現れる新しい本物の『女子』には適わないのだから。

どんなに巧みに隠し続けても、人生の経験値はオーラとなって滲みでているのだから。

では、『女子』ではなくなった私たちは、次は何になればいいのだろう?

『おばさん』

『婦人』

どれも陳腐で古臭いイメージが付きまとって歓迎できない。

うーん、だれか、新しく大人の女が歓迎して喜んで使う言葉を造語してもらえないだろうか。

そうすれば、また『女子』を脱した女たちは輝けるだろう。